マナー?美学?

え

マナーと美学

これは三味線の世界では当たり前なのだそうですが
人前での正式な演奏の時は天神カバーを外す
というマナーがあるそうです。
天神カバーとは、三味線の竿の先端を守るための、
簡易的な保護カバーのことです。
初めての人前での演奏の時に兄弟子から教わりました。
私はよく本番余裕がなくて、大舞台でも
つけたまま演奏してしまいます。
正式な場では、マナー違反だそうです。

会社でもマナーは知らないと恥をかきます。
スーツで行くべき場面にカジュアルで行ってしまったり
自由意見を求められて、本当に自由な発言をしてしまったり
誰も教えてくれない知っていて当たり前のマナーが
ごろごろ存在します。

昨日先輩と夕飯を食べ終えて仕事に向かうその直前に
爪楊枝を使う自分の口元を左手で隠すポーズを見ました
これが堂に入っていてとても自然な流れなのです。
あまりに自然で、しかもそのポーズのまま話し続けていました。
こちらも見ないふりをしながらその自然さに見入り
「左手流爪楊枝隠し」という流派でもあるような感じを受けました。
一連の流れがとても美しい流れでした。
一体これは誰からいつ習ったのでしょうか。

私が男っぽいタイプであれば堂々と使って
隠すこともなく咥えながらお勘定をすましたいところですが
そんなワイルドさもないため、もし爪楊枝を使うのであれば
「左手流爪楊枝隠し」を体得できれば。。
でも、そもそも爪楊枝自体を人前で使っていいものかどうか
マナーとしていいのか悪いのか
それもよくわからないです。
できれば使いたくないですが、使わざるをえない
状況になったとき。そんな時、

この爪楊枝隠しは大人の美学の流れを感じます。

人前で爪楊枝はできれば使いたくない。
見せたくない。でもあなたの前で使ってしまうくらい、
あなたに警戒心を持たず、あなたには心を開いているんだ
というアピールを感じます。でもそれだけではなく
だからといってあなたに不愉快な思いをさせない、
礼儀はわきまえてますという謙虚さも感じます。
あのポーズには2つの真摯なメッセージが流れているのではないかと思います。

心をオープンに。でも親しき仲にも礼儀あり。
というメッセージがこめられている仕草にも感じます。
日本の美学がここの結集している感じさえしますが、ちょっと大げさですかね(汗)

このマナーを生み出した人、改良した人、発展させた人、
しかも廃れて来たのを救った人、新しい感覚を取り入れた人、古きやり方を守った人、
独自のやり方を守った人、新しい波を起こした人、
さまざまな人や歴史があったのではないかと思います。
そしてこのような美しい型が出来上がったんではないかと思います。

爪楊枝にも右手隠しあり。そこに美学あり。美しい心あり。
演奏するときには天神カバー外しあり。そこのマナーあり。美しい型があり。
サラリーマンには場を読む礼儀あり。流儀あり。流派あり。

日本人って面白いです。日常一つに心遣いがある感じがします。
鏡の前でこの爪楊枝隠しを自然にできる練習をしてみました。
やはり練習が必要です。動きに無駄や恥ずかしさや力みがあります。
達人の先輩は、まるで空気を吸うみたいにやってのけます。
悔しいです。練習です。あのポーズやってみたいので練習です。
いつかさりげなくやってみたいと思います。

3月という季節

淋しい

もうすぐ春になりそうです。

冬から春になる感覚が好きです。
だんだん温かくなって、桜も咲いて、考えるだけでワクワクします。
ただ一つだけ、いつも気がかりなことがあります。
サラリーマンにとっては3月は送別会の多い時期なんです。

部署移動、退社、転職などの知らせを聞いて
驚きながらも、戸惑いながらも、思い切って去り行く人を
盛大に送り出す時期でもあります。

これが本当に寂しく切ない季節なのです。

通常は送り出される人が嬉しくも、切なく寂しいはずで
その気持ちを分かって華やかに送る会を開くべきなので
明るく楽しく盛り上げようと頑張りますが、
やっぱり送り出す方もかなり寂しいものですね(汗)
せっかく話せるようになって仲間や、
同じ時間を共有した人が離れていくのはとても寂しいです。

送別会の元気さや華やかさとうらはらな
翌日の朝、寂しい気持ちからはじまる
地味な日常とのコントラスト。
同じことを残って続けていく寂しさと地味さ。
送別会の翌日はシーーーーーンという音さえ感じてしまったりもします。

「三味線やめます。やっぱり忙しいので。仕事もあるし。」

この言葉によく出会います。
私が習っている稽古時間の前の時間や後の時間に習っている人が
そう話すのを何度も耳にしました。
いい加減ではなく、何年も技術向上に頑張っていた人が
気づくとこんな言葉を言ってやめていきました。
残念な気持ちと寂しい気持ちでいっぱいになります。
でもどんな事情かきかないのが暗黙のルールになっています。
残念な気持ちは、時間を費やした本人が一番感じているはずなので
せっかくなのに残念ですとも言わないのがルールです。

「頑張ってくださいね!違う世界で、ぜったいうまくいきますよ!」
そんなことを言いながら、事情や理由は聞かず分かれます。
どんな世界にいくのかはわかりませんが、次の道を心から応援したいと思います。
同じ道にいた人ががやめていくのは、なんともつらいものですね。
何年間も一生懸命いろんな技と心を教えていた先生の気持ちを考えると、
少し胸がつまります。考え過ぎかもしれませんが(笑)

そんなことを言っている私もどこまでやれるかわかりませんが(汗)
気持ちを言葉にしておくと、自分への約束になっていいかもしれないと思いました。

仕事と三味線、これからも頑張り続けます
気力や体力がきれるまで、やれるところまでやってみようと思います。
地味なことを自分のペースで頑張り続けます
私には派手な技もなければ個性もないので、コツコツ頑張ります。
やめないようにします
好きで入った世界なので、やれる限りは限界までやってみようと思います。
とにかく、続けて頑張らなくては
今までの自分に申し訳ない気がして。。

師匠や兄弟子、姉弟子、応援してくれた方にも申し訳ない気がして
まだやってるの?と言われるくらいまでやります
お爺ちゃんになる頃には少しはうまくなって味もでる仕事や演奏が出来る気がします(笑)

サラリーマン三味線。
いろんな出会いや別れを繰り返しながら
地道な努力を続けながら今日も頑張ります。。。(汗)

恥ずかしさとは

歯医者

LIVEをやってみて

いろんなところで演奏をしてみたり、
慣れないLIVEをやってみたり、たくさんの失敗もして
たくさんの恥をかきました。
そのおかげか、仕事でも演奏でも、恥ずかしさというものが
なくなってきました。なんだかいろんな怖さがなくなった気もします。
と思っていたのですが。。

「はい、では自分で鏡を持って見てみてください」と言って
歯医者で鏡を渡されたました。
自分の口の中を自分で確認するためです。
何気なくその鏡をのぞいた時に。。
見たことない角度の自分がそこにいたのです。
急に恥ずかしさが込み上げました。

そこにいたのは口を大きく開けて
鼻の穴を大きく開いた間抜けな男だったのです。
ほとんど印象が「無防備な口と鼻」の人になっていて
しかも鏡をのぞこうとしている目もなんだか必死で
とても間抜けな表情でした。
スキだらけの自分が鏡の中にいたのです。
かなりみっともない見え方でした。にも関わらず
私は患者と診察側という立場はありながら
歯医者さんや看護婦さんにも気を使いながら
一人の大人として会話をし、時間を守り、次の約束や相談を
していたつもりだったのですが
歯医者さんや看護婦さんから見ると
単なる間抜けで無防備な人という見え方なんだと気づきました(汗)
まったく気づかず会話していた自分に恥ずかしさが込み上げました。
しかもそのことに気づきながら、治療中あふれる唾液を
ゴーー、ゴーーー、と吸い込まれて
なんとも情けなく切ない感じを抱きながら治療を終えました。

なんだか恥ずかしいです。
ある角度からは自分の気づかない恥部がすべて見える
ことがわかりました。
自分では時々いい仕事、良い演奏、発言をしているつもりでも
角度を変えるとまったく見え方が変わり
自分でも気づかない自分の姿が見えてくるんだと思いました。

隠しても隠しきれない自分が本当の自分のような気もします。
ありなのままの自分の中に自分の音がある気がします

いい音をだしていきたです。いい仕事をしていきたいです。
そのためには恥ずかしいなんていってられない気がします。
恥ずかしさも、みっともなさも、すべてが自分
そう思って恥ずかしさも情けなさも丸出しにしながら
仕事も三味線も頑張っていきたいと思います。

道を見失う男



道って難しいです。

あまり人に言わないようにしていましたが
隠しきれなくなって来たので正直に言います。
私はかなりの方向音痴です

新しく行く場所はもちろん、何度か行ったことある場所でさえ
方向が分からなくなることが多いです。
何度か行ったことあるお得意、毎年演奏しているホール、
よくお邪魔した上司のご自宅などなど
初めてじゃないのに迷います。
しかも迷ってしまったときに
「何度も行っている場所なのに、いまさら道が分からなくなりました!」
というのが恥ずかしく、人に聞けないため
つい思い込みでどんどん進んでしまいます。

なんだか歩いているうちに別のことを考え事をはじめて
景色も見ているようで見ておらず足がなんとなく歩く方向に
どんどん進んで、気がつくと全然見たことない景色の前にいるのです(汗)
見たことない景色なのでどちらに進むか勘で勝負してしまうため
間違いはどんどん激しくなっていきます。
地図も調べず、勘で進むうえに勘が悪いため
かなりの確率で間違った方向に進みます。

昨日は飲み会の途中で、お金をおろしていないことに気づき
ちょっと抜けてコンビニに行ったらもとのお店が分からなくなりました。
雪山現象のようにお店の近くをぐるぐる薄着で歩いている私を
後輩が見つけて身柄を確保してくれました(汗)
まったく戻れない間、寒くて凍えそうでした。
「コンビニに行ったらもとのお店がわからなくなって」
と電話すればすむものを恥ずかしくて出来ないためにこんなことになってしまいます。
「どうしたの?電話?仕事?」
と戻ったときに聞かれました。仕事でも電話でもありません。
遭難です。この都会で。この近所で。恥ずかしいです。
さらにもどったお店で安心してトイレなどに行くと
どこの部屋だったかまったくわからなくなり、さすがにこれは
恥ずかしすぎて電話して迎えに来てもらうわけにもいきません。
覚悟を決めて、いろんなまったく知らない顔ぶれののお座敷の扉を
ひたすら笑顔で開け続けるしかありません(汗)

そもそもは何か道の目印やポイントをしっかり把握することや
自分の進む地図を持っていることや頭に入れておくことが大切です。
それが出来ていない上に、勘での判断をしてしまうことやさらに
恥ずかしくて聞けないことが余計に恥ずかしい結果を生んでしまいます。

恥ずかしくてもわからない時は人に聞く
年々これができなくなってきている感じがします。
道に迷った時、仕事の仕方でいまさらわからない部分がある時、
三味線の音や弾き方が分からなくなった時、
つい聞くことをためらってしまったりします。
私の場合聞かないとどんどん迷う感じがします。

「いいか、まず事前によく調べる。目の前のことに集中する。
余計な考え事しない。勘で判断しない。適当に進まない。思い込まない。
迷ったときは調べる。客観的に、俯瞰的に自分の位置を把握する。
分からないときは恥ずかしくても聞く。間違えたときはすぐ引き返す。」

というご指摘を受けました。ありがたいお言葉です。
ん??
指摘されたことは、私の人生にも仕事にも三味線の演奏にも
すべてあてはまる感じがしました。反省しました(汗)その通りです。
ありがとうございます。

蕎麦とそば湯

そば

そばが好きです。

どんな料理より蕎麦が好きです。
1日3食蕎麦でもいいと思って3食蕎麦にしていたときもありました。
そばの感触とツユの絡み方を楽しむのがシンプルに贅沢で好きです。
いろんな蕎麦屋を訪れてはシンプルに「せいろ」を頼んで食べ比べています

さらに「そば湯」が大好きです。
体も心も温まる蕎麦屋のデザートだと思っています。
そば湯は出されるタイミングが重要です。
蕎麦を打つ事に愛情を持っている蕎麦屋は、
そば湯を出してくれるタイミングが絶妙です。
食べているときにないけれど大丈夫かな?
と思って蕎麦を食べていると、蕎麦がなくなりそうな絶妙なタイミングで
待っていましたとばかりそば湯が出てきます。
これは、簡単なようで難しい事です。
そば湯が蕎麦と一緒に出てくるお店もあります。効率的ですが
蕎麦を食べ終わる頃には、そば湯も冷めます。残念です。
いつでも好きにそば湯を飲めるようにポットに入っているお店もあります。
出し方にもお店の特徴がでているのかも知れません。

もうそば湯がくる頃かな?と思って
待っていても出てこないお店があります。
「すいません、そば湯いただけますか?」
「あら!いまお持ちします!ごめんなさい!」
忘れている場合はこんな会話になります。
「そば湯?うちはやってません。」
こういう返しをするお店もあってそば湯ファンとしては
寂しい思いをします。
たしかにそば湯は必ず約束されているものではないし
メニューにも書かれていません。

コンサートでアンコールというものがあります。
これは約束されていないものです。
お客さんがもう少しだけ余韻に浸りたい
もう少しだけ楽しみたい、本題とはすこし違って
約束もされていないし明文化されていないけれど
もう1曲聞きたいときに拍手を長くしてお願いするものです。

ただこれも約束はされていなくてアンコールがある場合と
ない場合があって演奏者の心一つで決まります。
あれば満足、なければ残念、とても曖昧ですが、
満足感を増幅してくれるものとしてかなり重要なものに感じます。
少しそば湯の存在と似ている気がします。

あくまで私見ですが、、蕎麦を大事にするお店は、
そば湯にも手抜きがありません。
そして蕎麦を出すタイミングが絶妙なお店は、
そば湯を出すタイミングも絶妙です。
そして蕎麦の味がいいお店は、そば湯も絶品です。

演奏を大切にする人は、お客さんのアンコールにもきちんと応えて
丁寧に満足のいくアンコールの演奏が出来る気がします。
仕事で言うとアフターサービスなどといったところでしょうか。
お客さんを本題で満足させるのは当たり前。
その上でさらにどこまで満足し納得してくれるかを見ている

気がします。最後まで気を抜けないなと思いました。

あまり目立たないビルにあるおそば屋さんの
濃厚でトロトロなそば湯を飲みながら、今後の三味線と仕事について
大切な心構えを感じてしまいました。
プロフィール

邦風

Author:邦風
澤田 邦風(さわだ くにかぜ)と申します。東京で、仕事をしながらライフワークとして津軽三味線を演奏する日々を送っています。良い音色とは何か、日々追求しつつ頑張っています。「邦風ホームページ」でも活動が見られますので、見てみてください。

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